休日の昼下がり、僕は近所のプールで一時間ほど泳いできた。
日ごろの運動不足解消のためという理由もあったが、
実はそれ以外にも僕をプールに向かわせた要因がある。
吉田修一「最後の息子」所収の作品、『Water』だ。
高校時代、僕は水泳部だった。正確にいうと、水泳部だった時期があった。
「時期があった」というのは、途中で部活に行かなくなってしまったからだ。
練習について行けなくてやめたわけではない。でも確かに練習は地獄だった。
夏前のまだ肌寒い時期から冷たい水のプールに入れられ、
暑くなったらなったで毎日毎日バカみたいに泳がされる日々。
プールにいる間は、常に息切れの酸素不足状態。
「空気のような存在」という表現があるが、
当時の僕は空気のありがたさ、呼吸ができる喜びを正に身体で感じ取っていた。
そんな毎日でも、高校一年のころはけっこうマジメに部活に参加していたのだ。
むしろ、そんな状況を楽しんでいたのかもしれない。
しかし、一年の夏が終わり先輩達が部活を引退してしまうと(僕らの水泳部は二年の夏で引退なのだ)、
もともと険悪だった何人かの部員との関係がさらに悪化してきた。
僕は僕で、外の世界にある様々なものに興味の対象が移り始めていった。
要するに、遊びたかったわけだ。
そんなわけで、僕はだんだんと部活に参加しなくなっていった。
『Water』は、長崎にある高校の男子水泳部員の物語である。
毎日毎日水泳に明け暮れ、全国大会に出場すること、
0.1秒でも自己ベストタイムを上げることばかりを考えている四人――凌雲、浩介、圭一郎、拓次。
彼らは、部活のないときには各々の家に集まり、
大会のこと、
恋愛のこと、将来のことなどを語り合う。
クーラーの風は体を鈍くしてタイムが落ちるから嫌い。
目標はただ一つ。県大会でベストタイムを出し、ライバル校に勝利すること。
あまりにも健全すぎる高校生である。
登場人物達は目標に向かっている中でいろいろな事件にあい、
その度に苦悩しつつも、ついに県大会当日を迎える……。
非常にカラッとした小説である。
真夏の灼熱の太陽の下でそよ風を受けている、そんなイメージ。
作中には何度か、個々の力では解決が困難な非常に重たい場面が登場する。
にもかかわらず、作品全体に暗い印象が残らないのは、
作中に現れる高校生達の明るさ、にじみ出る将来への希望、それらのおかげではないだろうか。
彼らはそれぞれに思い、悩み、そして腹の底から笑い合う。
その明るさに、我々読者自身も知らぬ間に元気付けられていく。そんな気がする。
この物語では、張られていた複線は一切解明されない。
ラストでさえ、どうなったのかという明確な表現はない。
隠喩でわずかに示されるだけだ。
だが僕はそれでいいと思っている。
明確にされないその分だけ、頭の中でのイメージは無限に広がる。
僕の頭の中では、中途半端ではあったけれども当時僕がやっていた部活動の記憶とリンクされ、
その光景が鮮明に浮かび上がっていた。
水しぶき、歓声、そして照り付ける太陽。
恥ずかしくもほろ苦かった時代がこの小説には閉じ込められている。