小山清という作家をご存知だろうか。
僕は教科書に載っている小難しく書かれた評論や、大して面白くもない小説が嫌いだった。
かと言って、本を読むのが嫌いだったわけではない。
人並みには本を読んでいたと思う。
教科書に載っている当り障りのない文章が大嫌いだったのだ。
高校3年の時に、授業で「落穂拾い」という短編私小説を扱った。
当時の僕には、現国の授業は不足していた睡眠を補うか、ジャンプやマガジンを読むためだけに存在していた。
そんなわけで、当然のことながら授業などは聞いているはずもなく、僕がこの小説に目を通したのは、本当にふとした気まぐれからであった。
これは面白い小説だ。というと語弊があるかもしれない。
小説の内容は、「僕」の日常、懐古、芋屋のお婆さんのこと、古本屋の少女との触れ合いについて。
何のことはない、ごく普通の平凡な日常が書いてあるだけである。
テキストサイトがこれだけ氾濫している今では、きっとその渦に埋もれてしまい掘り出されもしないだろう。
しかしそれでも、何か気になる小説なのだ。
文章全体を漂っている優しい雰囲気、そして――孤独感。
読み終わった後、僕は定期試験用に買っておいた教科書ガイド(教科書の解説―試験の答え―が載っている)を机の引き出しから取り出した。
この小説の全てを理解したいという衝動に駆られたからだ。
何度も何度もこの小説を読み直し、何本も何本も気になるところにラインを引いた。
僕はその小説の虜になった。
高校を卒業しても、教科書から該当個所を切り離して保存し、機会あるごとに読み返した。
そして、いつの間にかそれはどこかにいってしまい、僕もその存在を忘れていた。
先ほど、部屋の掃除をしていたら、隅っこの方からその小説(切り抜き)が出てきた。
この文章は、それを再読し終えた衝動から書いている。
小山清という人物は、生前に5冊の本しか出していないらしいが、この本は間違いなく後世に残る名作だと僕は思う。
もし、この小説を目にする機会があったならば、ぜひ一度読んでみてほしい。
「癒し」や「安らぎ」を得る手段は、何もハーブやアロマだけではないのだ。

