2005年03月21日

落穂拾い

僕の部屋には、高校時代の現国の教科書からブッちぎった一編の小説がある。
小山清という作家をご存知だろうか。

僕は教科書に載っている小難しく書かれた評論や、大して面白くもない小説が嫌いだった。
かと言って、本を読むのが嫌いだったわけではない。
人並みには本を読んでいたと思う。
教科書に載っている当り障りのない文章が大嫌いだったのだ。

高校3年の時に、授業で「落穂拾い」という短編私小説を扱った。
当時の僕には、現国の授業は不足していた睡眠を補うか、ジャンプやマガジンを読むためだけに存在していた。
そんなわけで、当然のことながら授業などは聞いているはずもなく、僕がこの小説に目を通したのは、本当にふとした気まぐれからであった。

これは面白い小説だ。というと語弊があるかもしれない。
小説の内容は、「僕」の日常、懐古、芋屋のお婆さんのこと、古本屋の少女との触れ合いについて。
何のことはない、ごく普通の平凡な日常が書いてあるだけである。
テキストサイトがこれだけ氾濫している今では、きっとその渦に埋もれてしまい掘り出されもしないだろう。
しかしそれでも、何か気になる小説なのだ。
文章全体を漂っている優しい雰囲気、そして――孤独感。

読み終わった後、僕は定期試験用に買っておいた教科書ガイド(教科書の解説―試験の答え―が載っている)を机の引き出しから取り出した。
この小説の全てを理解したいという衝動に駆られたからだ。
何度も何度もこの小説を読み直し、何本も何本も気になるところにラインを引いた。

僕はその小説の虜になった。
高校を卒業しても、教科書から該当個所を切り離して保存し、機会あるごとに読み返した。
そして、いつの間にかそれはどこかにいってしまい、僕もその存在を忘れていた。

先ほど、部屋の掃除をしていたら、隅っこの方からその小説(切り抜き)が出てきた。
この文章は、それを再読し終えた衝動から書いている。
小山清という人物は、生前に5冊の本しか出していないらしいが、この本は間違いなく後世に残る名作だと僕は思う。

もし、この小説を目にする機会があったならば、ぜひ一度読んでみてほしい。
「癒し」や「安らぎ」を得る手段は、何もハーブアロマだけではないのだ。
posted by ジュンヤ at 01:26| Comment(4) | TrackBack(1) | 今夜はRead it | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野島伸司 スワンレイク

本書 帯より:
黄色いレインコートをまとい、猟奇殺人を繰り返す「五人」の若者。
彼らを追い詰めた刑事がつかんだ驚愕の真相。
捕らえられた犯人と女精神科医との不可思議な精神鑑定から浮かび上がる、究極の愛の形とは―。





読後感を一言で言うと、果てしなく救いのない小説。
ただし、ストーリーは面白くぐいぐいと引き込まれていく。
様々な人物の視点で書かれそれぞれに交錯する思惑、随所に出てくるママンの謎、
先の読めない展開、――そして、野島伸司らしい破綻的なラスト。

この小説のテーマは究極の愛だそうだ。
だが、帯に記載されている本文からの引用、それがこの小説のすべてだと僕は勝手に思っている。

「本来、社会とは個々人の持つ情緒レベルによってその世界の居住区を決定すべきなんだ。
人種でも宗教でも知能レベルでもない。感受性や情緒レベルによってね。
争う人は争いの国で奪い合い、殺しあうがいい。
嘘をつく人は嘘の国に、自意識の強い人はブラウン管に閉じ込めて鏡の国に住むがいい。
(中略)同じ花を見つめて、美しいと感じるレベルがあまりにも違う人間が混在して居住することに人類の悲劇がある。」


思想としてはかなり危険だが、別の意味での選民思想―選ばれるのではなく選り分けて分類する―として興味深い。

現在の宗教事情。
相反する思想が、今現在なお続く重く悲しい紛争を引き起こしている。
そして、現在の宗教紛争の原因はほぼ100%「攻撃的な情緒」からきていると思う。
世界を見渡せば、他信仰を認められずに攻撃する人は本当に少数しかいない(と信じたい)。
そういった「攻撃的な情緒」を持った人間のみを収集・隔離してしまえば世界はもう少し平和になるのかもしれない。

多様化する価値観、ますます増加する少年犯罪、内面に様々な問題を抱えた「普通」の人達。
宗教だけでなくあらゆる面で、異なった感受性や情緒レベルごとに強制的な居住区を設けて他に対する一切の干渉を禁じてしまう。
いっそのこと、そうした方が世の中は暮らしやすくなるのではとすら思えてしまった。
実際に小説では、登場人物の誰一人として異なった「国」の人と幸せな結末を迎えることができていない。
しかし、この思想の行き着く最終駅は「逆ナチス」であり、現在の信仰・思想の自由と相反する。
そういったジレンマが、野島伸司にこのような救いのない小説を書かせたのかもしれない。
posted by ジュンヤ at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 今夜はRead it | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉田修一 「water」

休日の昼下がり、僕は近所のプールで一時間ほど泳いできた。
日ごろの運動不足解消のためという理由もあったが、
実はそれ以外にも僕をプールに向かわせた要因がある。
吉田修一「最後の息子」所収の作品、『Water』だ。

高校時代、僕は水泳部だった。正確にいうと、水泳部だった時期があった。
「時期があった」というのは、途中で部活に行かなくなってしまったからだ。
練習について行けなくてやめたわけではない。でも確かに練習は地獄だった。

夏前のまだ肌寒い時期から冷たい水のプールに入れられ、
暑くなったらなったで毎日毎日バカみたいに泳がされる日々。
プールにいる間は、常に息切れの酸素不足状態。
「空気のような存在」という表現があるが、
当時の僕は空気のありがたさ、呼吸ができる喜びを正に身体で感じ取っていた。
そんな毎日でも、高校一年のころはけっこうマジメに部活に参加していたのだ。
むしろ、そんな状況を楽しんでいたのかもしれない。

しかし、一年の夏が終わり先輩達が部活を引退してしまうと(僕らの水泳部は二年の夏で引退なのだ)、
もともと険悪だった何人かの部員との関係がさらに悪化してきた。
僕は僕で、外の世界にある様々なものに興味の対象が移り始めていった。
要するに、遊びたかったわけだ。
そんなわけで、僕はだんだんと部活に参加しなくなっていった。

『Water』は、長崎にある高校の男子水泳部員の物語である。
毎日毎日水泳に明け暮れ、全国大会に出場すること、
0.1秒でも自己ベストタイムを上げることばかりを考えている四人――凌雲、浩介、圭一郎、拓次。
彼らは、部活のないときには各々の家に集まり、
大会のこと、恋愛のこと、将来のことなどを語り合う。
クーラーの風は体を鈍くしてタイムが落ちるから嫌い。
目標はただ一つ。県大会でベストタイムを出し、ライバル校に勝利すること。
あまりにも健全すぎる高校生である。
登場人物達は目標に向かっている中でいろいろな事件にあい、
その度に苦悩しつつも、ついに県大会当日を迎える……。

非常にカラッとした小説である。
真夏の灼熱の太陽の下でそよ風を受けている、そんなイメージ。
作中には何度か、個々の力では解決が困難な非常に重たい場面が登場する。
にもかかわらず、作品全体に暗い印象が残らないのは、
作中に現れる高校生達の明るさ、にじみ出る将来への希望、それらのおかげではないだろうか。
彼らはそれぞれに思い、悩み、そして腹の底から笑い合う。
その明るさに、我々読者自身も知らぬ間に元気付けられていく。そんな気がする。

この物語では、張られていた複線は一切解明されない。
ラストでさえ、どうなったのかという明確な表現はない。
隠喩でわずかに示されるだけだ。
だが僕はそれでいいと思っている。
明確にされないその分だけ、頭の中でのイメージは無限に広がる。
僕の頭の中では、中途半端ではあったけれども当時僕がやっていた部活動の記憶とリンクされ、
その光景が鮮明に浮かび上がっていた。

水しぶき、歓声、そして照り付ける太陽。

恥ずかしくもほろ苦かった時代がこの小説には閉じ込められている。
posted by ジュンヤ at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 今夜はRead it | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月12日

石田衣良 「池袋ウェストゲートパーク」

以前にドラマ化されたことで知っている人も多いだろう。
池袋を舞台にしたストリート小説。

1997年、僕は高校生だった。
そこらへんに溢れていた普通の高校生。
バイトもすれば酒も飲み、ちょびっとだけ悪いことにも興味を持っていた普通の高校生。
頭の片隅には常に女のことがインプットされていて、
西に飲み会があれば這いずり回ってでも参加し、
東にナンパできそうなターゲットがいれば全速力で追いかけ回していた。
些細なことで団結し、些細なことで離散する変な集団。

「ちょっと悪いこと」がカッコ良く見え、
そのせいで大変なしっぺ返しを喰らったりする生活。
優等生なわけもなく、かと言ってしこたまに悪いわけでもない、
単なるしょっぱいだけのただの「ガキ」。

「池袋ウェストゲートパーク」の登場人物は、そんな平々凡々なキャラクター達――ではない。
主要な登場人物は、ギャングであり、ヤクザであり、風俗嬢。
日々血みどろな抗争が繰り広げられる平凡とはかけ離れた世界、それが本編の舞台なのだ。

ブクロには当時それほど馴染みがあったわけではない。
だがそれでもなお、僕には当時の状況をありありと思い出すことが出来た。
サンシャイン通りでナンパに励み、
ナンパコロシアム西口公園でからまれ、
カラオケ代金が足りなくて店からダッシュで逃げたりしていた頃。
かたわらには常に、確かに平凡ではない世界の匂いを感じていた。

カラーギャング、援助交際、ドラッグ、ナンパ、
当時のブクロの時代背景を見事に書ききっている。傑作。
posted by ジュンヤ at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 今夜はRead it | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする