2005年05月02日

尼崎JR脱線事故に対する不謹慎な憧れ

尼崎JR脱線事故。

タイムリーな時期を過ぎたので、それについての所感を書きます。
まず、大前提として、非常に哀しい出来事であったことは言うまでもありません。
被害に合われた方のご冥福をお祈りします。

でも、同時に、こうも思ってしまった。

羨ましい・・・。

不謹慎かもしれないですが、
事故の概況を知るにつれてこんな感情が沸き起こってきました。

最近、通勤途中やオフの時間に一人で街を歩いている時、
私はあることを習慣付けている。

横断歩道で絶対に車に道を譲らないことだ。
信号が青のうちは、車がやってきていても絶対に立ち止まらないことにしている。

横断歩道は歩行者優先。
なので、右折車(左折車も)は、基本的に歩行者の通行を妨げてはならない。
歩行者は車が居ようが居まいが、何も気にせずに通行してよい。
もし、車とはねられるようなことがあれば、それは全て自動車側の責任なのだから。

もちろん、これは詭弁だ。
大いなる詭弁。

実際には、その時の状況により歩行者が譲るべき時もある。
でも、今の私は絶対に譲らない。
むしろ車に轢かれたいとさえ思う。

自ら命を絶つのは怖い。
しがらみもたくさんあって、とてもじゃないができやしない。
でも、外的な要因(例えば、交通事故)でそれが行われるとしたらどうだろう。
外的な何かが強制的に自分自身を終わらせてくれるのなら、
それはそれはとても素晴らしいことではないか。
憧れさえもする。


自殺願望は、誰でも持っていると思う。程度の大小はあれど。
死への憧れといった方が正確かもしれない。
数年前に、僕の同級生は自宅駐車場のガレージで首をつり、自ら命を絶った。
何が彼にそうさせたのかは未だに不明だが、
それでも僕はその行為を100%否定はできなかった。
その当時から、死への憧れがあったからだと思う。

自ら自分自身に終止符を打つのには、ブレーキがかかる。
ものすごくかかる。
人間の生存本能が歯止めをかけているのだろう。
よっぽどのことがない限り、そのブレーキを外すことはできない。

でも、終止符を打つことを外部がやってくれたら。
不意打ちに突然にやってくる、死の匂い。
一瞬でマックスまで達する恐怖。
目の前に突っ込んでくるトラック。
その場で硬直する肉体。

ぱちん。スイッチオフ。
暗闇。

まるでパソコンの電源を切るように、
その瞬間にすべてのことが終わりにできたら。
誰かが「強制終了」してくれたら。

尼崎の脱線事故を羨ましいと思ってしまったのは、
たぶんここから来ているのだろう。


生きなければ。
とにかくそう思う。
でも、これが、生かされているのだとしたら?
わずかに見えている光の種さえ、どんどんどんどん摘み取られていくこの社会。
報われないシステム
ここ数年、明確な希望というのを示されたことはあっただろうか。

僕が僕であるために、勝ち続けなくてはならない。
でも私には、その「僕自身」がハナから存在しない。
僕が僕に”なる”ために、勝ち続けなければならないのだろうか。
この先も光はない。
たぶん、そんな気さえする。
それでも、生きなければ。
例え、生かされているのだとしても。
posted by ジュンヤ at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月14日

女性専用車両。せめてネーミングだけでも何とかしてくれ

女性専用車両が発音できない。
どうしても、「女性せんりょう車両」と発音してしまう。
でもまぁ、言葉は違えど意味は変わっていないからいいか。

どう考えても、ネーミングに問題がある。
この車両に、児童やハンディキャップを持った男性(俗に言う障害者)も乗れると知っている女性は、
果たして何人居るのだろうか。
「専用」って意味分かっていて使っているのだろうか・・・。
普通に優先車両でいいじゃん。

男性専用なんていうと大問題になるのに、なんで女性専用はOKなんだろう。
相撲の土俵に立たせろというくせに、車両には乗るなときたか。
そのうちに、女性専用車両に乗れないのは男性差別だと騒ぎ出す人が出てきたら面白い。

どうせなら、シルバーシートのようなネーミングにすれば良かったのに。
ある特定の色(例えばピンク)を選ぶと、
そこから「ピンク=女性」は偏見だと言われるからか避けたのか?
だったら、シルバー=老人も偏見でしょう。
白髪の色からきている言葉か?よく知らないけど。

僕はどちらかというと、女性には優しくしてあげるべきだと考えていますが、
朝のラッシュ時に隣の車両がガラガラだったら怒ります。
同じ料金払っているのにってのもあるんだけれど、
負担をすべて男性側に押し付けてメデタシメデタシっていう流れが気に喰わない。
公共のサービスでこれをやっちゃうのは反則でしょう。
痛みに耐えてよく頑張った?五月蝿い。それでは、今の構造改革と一緒で何も好転しない。

女性専用車両の一番決定的な問題点が、女性が積極的に利用しないこと。
確かに、朝のクソ忙しいときに、乗り換えに不便な車両に乗りたくない気持ちもわかる。
でも、それじゃ問題が何も解決しない。
そもそも、根本的な問題はラッシュアワーが起こることだ。
寿司詰めの電車じゃなかったら、痴漢騒ぎも減るでしょう。
そもそもが、女性専用車両を推進した人々って、朝の満員電車に乗ったことがあるのだろうか?

まぁ、こんなこと呑気にいえるのも、
僕が通勤に使っている電車にまだ「女性せんりょう車両」が導入されていないからなんですが。
ジェンダーフリーもフェミニズムも、大事な議論なのは分かる。
でも、都合のよいところだけ、女性だからと言って優位になる風潮には納得がいかない。
男だって本心を言えば満員電車は辛いし、合コンやデートでは奢ってもらいたいし、給料3か月分の結婚指輪だって欲しいのだから。

以上、至るところで語りつくされているであろうことを
あえて声高に語ってみました。
女性の方々に刺されないように、月の出ていない夜は夜道に気をつけます。
男女平等バンザイ。

僕はレディースデーが嫌いだ。ニャンニャンさせてもらえないから。

女性専用車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
posted by ジュンヤ at 02:13| Comment(0) | TrackBack(3) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月21日

文系論

けっこう昔、ある本に次のように書いてありました(マーフィーの法則系の本だったと記憶)。

「理系は100行を1行にする。
文系は1行を100行にする。」

僕はこれを見たとき、心の底からうなずきました。
その通りです。
理系のことは分かりませんが(僕はは文系)、
文系の人間にはメールなどの文章が長くなる傾向があると思います。

ある種の文系の人間には、
自分の伝達内容(表現したいもの・メッセージ)が相手に伝わらないことが恐怖で仕方がないのです。
だから、それを確実に伝えたいがために、おのずと文章が長くなっていきます。
伝えたいことが100%正確には伝わらない絶望。
それを少しでも避けようとして、天文学的に増えていく補足的説明の文字の羅列。
長くなった文章の結果、
一番伝えたかったことがぼやけてしまい、相手に伝わらないという悪循環。
それを避けようとして、さらに長くなる文章。無限ループ・・・。
僕は、この傾向は親和欲求の高い人ほど現れると勝手に思っています。

著名人にも、1行を100行にする人がいます。
いや、1コマを100行にすると言った方が正しいかもしれません。
「Bバージン」や「アガペイズ」、「NG」などを描いた漫画家の山田玲司。彼が文系かどうかは知りませんが。
彼は自分のマンガでのメッセージやテーマについて、
これでもかとばかりに単行本巻中に書き連ねます。
「言いたいことはきちんと伝わってるから、単行本でグダグダと書くのはどうだろう」と、
僕は常々心の中で思っていました。
その一方で、作者からのメッセージが嬉しかったりもしましたが。
でも、彼にしてみれば、
身を削って生み出した作品メッセージがきちんと伝わっているかどうか不安だったのでしょう。
彼曰く、「メッセージは3%(当時の消費税分)、あとの97%はすべてエンターテイメントにする」
(Bバージン15巻)だそうなので、作中ではよっぽど語り足りなかったのでしょう。
言いたいことのほとんどを抑えていたのではないかと思います。
その反動が、単行本巻中にどっと出たのでしょう。

ともかく、
「理系は100行を1行にする。
文系は1行を100行にする。」

この法則は、人間の真理をついていると思います。
posted by ジュンヤ at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする